この記事のポイント
- 1996年ドラフト13位でホーネッツが指名
- 指名権がレイカーズへ移動
- 交換相手はセンターのブラデ・ディバッツ
- コービーはレイカーズで優勝5回、球団の象徴へ
数字で見るコービーのドラフト
1996年の指名順位
ドラフト時の年齢
レイカーズでの優勝
2006年の1試合得点
“ホーネッツのコービー”はほぼ幻だった
1996年ドラフトでコービーを指名したのはシャーロット・ホーネッツだった。ただし、この指名はレイカーズへのトレードを前提に進んだ動きとされる。つまりコービーがホーネッツで本格的にプレーする未来は、かなり早い段階で消えていた。
レイカーズが差し出したのはブラデ・ディバッツ。実績あるセンターを出して、17歳の高校生ガードを取るのは当時としては大胆すぎる判断だった。
ジェリー・ウェストの賭けが王朝の入口になった
この動きの中心には、レイカーズのフロントにいたジェリー・ウェストの評価眼があった。コービーのワークアウトを見て、将来性を確信したと言われる。高校生ガードにここまで賭ける判断は、普通のフロントなら怖い。
だが結果的に、この一手がレイカーズの未来を変えた。シャック獲得とコービー獲得が同じ夏に重なり、2000年代初頭の3連覇へつながっていく。
ドラフトの数分が20年の歴史を変えた
もしホーネッツがコービーを残していたら、レイカーズ王朝は生まれたのか。シャックはロサンゼルスで同じように支配できたのか。2000年代NBAの景色はかなり変わっていただろう。
コービーのドラフトは、順位だけ見れば13位指名の一例にすぎない。しかし、指名権トレードの裏で起きた判断は、NBA史でも屈指の転換点だった。
ディバッツは一度、トレードを拒んだ
このトレードはすんなり決まったわけではない。レイカーズで長くプレーしてきたブラデ・ディバッツは、ロサンゼルスを離れたくないとして、トレードされるなら引退するとまで示唆した。ディバッツが本当に引退すれば、トレードは成立しない。
最終的にディバッツはシャーロット行きを受け入れ、トレードは1996年7月に成立した。もし彼が意思を曲げなければ、コービーはホーネッツでキャリアを始めていたかもしれない。コービーの運命は、ドラフト当日ではなく、その後のわずかな交渉にも左右されていた。
同じ夏にシャックも来た
ディバッツを放出したことで、レイカーズにはサラリーキャップの空きが生まれた。その空きを使って、同じ1996年の夏にFAのシャキール・オニールを7年契約で獲得する。コービーの獲得とシャックの獲得は、別々の出来事ではなく、ひとつの設計図の両輪だった。
17歳でドラフトされたコービーは、当時のNBA史上最年少で公式戦に出場した選手になった。その後20年間をレイカーズ一筋で過ごし、優勝5回、ファイナルMVP2回、2006年の1試合81得点、そして2016年の引退試合での60得点と、数々の伝説を残した。
1996年夏、レイカーズの設計図
- 1ドラフト
ホーネッツが13位でコービーを指名。
- 2トレード
センターのディバッツと交換でレイカーズへ(7月に成立)。
- 3キャップの空き
ディバッツの放出で、サラリーキャップに余裕が生まれる。
- 4シャック獲得
同じ夏、FAのシャキール・オニールと7年契約。
