歴史の転換点2009年ドラフト / ウォリアーズ7位指名

カリーはウォリアーズに行きたくなかった?

ー ニックス目前で止まった2009年ドラフト ー

カリー本人や家族側はニューヨーク行きを望んでいたとされる。しかしウォリアーズが7位で指名したことで、NBAの3P革命はベイエリアから始まった。

この記事のポイント

  • 2009年ドラフト7位でウォリアーズが指名
  • ニックスは8位指名で、カリーは直前で消えた
  • ウォリアーズで優勝4回、MVP2回
  • NBAの3P時代を決定づけた選手へ成長

数字で見るカリーのドラフト

7位

カリーの指名順位(ニックスは8位)

402本

2015-16シーズンの3P成功数

4400万ドル

2012年の延長契約(4年総額)

カリーとニックスはかなり近かった

2009年ドラフト前、カリー側がニューヨーク行きを望んでいたという話は有名だ。本人も後年、ニックスに行く可能性を意識していたことを語っている。会場がマディソン・スクエア・ガーデンだったこともあり、ニューヨークの空気はかなり濃かった。

だがウォリアーズが7位でカリーを指名し、8位のニックスには順番が回らなかった。ニックスはジョーダン・ヒルを指名することになる。ここでNBAの未来は大きく分岐した。

当時のウォリアーズは理想の行き先に見えなかった

今でこそウォリアーズは近代NBAの王朝として語られるが、2009年当時はそこまで魅力的な行き先ではなかった。チームは安定した強豪ではなく、カリーもモンタ・エリスとの共存や足首の怪我など、序盤は不安要素が多かった。

それでもウォリアーズはカリーを残し、クレイ、ドレイモンド、カー体制へとつなげた。もしニックスに行っていたら、同じようにオフボールを最大化する環境が作られたかは分からない。

行きたくなかった場所が、革命の発信地になった

この話の面白さは、本人の希望と歴史の結果が真逆になったことだ。カリーがウォリアーズに入ったからこそ、チームは彼を中心にスペーシングと3Pの価値を極限まで広げられた。

ドラフトは選手の希望通りに進むとは限らない。だが、そのズレがリーグ全体を変えることもある。カリーの7位指名は、NBAが3P時代へ進む入口だった。

6チームがカリーを見送った

2009年ドラフトで、カリーより前に指名されたのは6人だった。1位ブレイク・グリフィン、2位ハシーム・サビート、3位ジェームズ・ハーデン、4位タイリーク・エバンス、5位リッキー・ルビオ、6位ジョニー・フリン。とくに5位と6位を続けて持っていたティンバーウルブズが、2人ともポイントガードを指名しながらカリーを選ばなかったことは、今もよく語られる。

当時のカリーは、デビッドソン大学で得点を量産したシューターとして知られていたが、細身の体格や守備面を不安視する声もあった。どれほどの専門家でも、ドラフトの時点で選手の未来を正確に見抜くことは難しい。

“お買い得”な延長契約から始まった王朝

カリーはキャリア序盤、足首の故障に何度も苦しんだ。そのため2012年に結んだ契約延長は4年総額約4400万ドルと、スター選手としては控えめな金額に収まった。ところがその直後からカリーは覚醒し、この契約はNBA史上屈指の“お買い得”契約になる。

サラリーキャップに余裕があったことで、ウォリアーズはクレイ・トンプソンやドレイモンド・グリーンを抱え続け、2015年から優勝を重ねていった。カリーは2015-16シーズンに1シーズン402本の3Pを沈め、史上初の満票MVPに選ばれる。2021年にはレイ・アレンを抜いて通算3P成功数で歴代1位に立った。

7位指名から王朝へ

  1. 1
    2009年

    ウォリアーズが7位で指名。8位のニックスには回らず。

  2. 2
    2012年

    足首の不安から、4年約4400万ドルの控えめな延長。

  3. 3
    2015年〜

    キャップの余裕でクレイとドレイモンドを抱え、優勝を重ねる。

  4. 4
    2015-16

    402本の3Pを決め、史上初の満票MVP。

  5. 5
    2021年

    通算3P成功数で歴代1位に。

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