この記事のポイント
- 1991-93年にブルズで3連覇
- 1993年10月に突然の引退を発表
- 1994年はホワイトソックス傘下バーミングハム・バロンズでプレー
- 1995年にNBA復帰し、再び3連覇へつなげた
数字で見る野球転向
マイナーリーグでの打率
バーミングハム・バロンズでの出場
復帰後、1995-96シーズンの成績
全盛期の王者が突然いなくなった
ジョーダンの野球転向が衝撃的だったのは、衰えてからの挑戦ではなかったからだ。1993年の時点でブルズは3連覇を達成し、ジョーダンはリーグ最高の選手だった。その頂点で、彼はNBAを離れた。
理由として語られるのは、燃え尽き、父ジェームズの死、そして父が好きだった野球への思いだ。いずれにせよ、NBAは最も売れるスターを突然失った。これは競技面だけでなく、リーグのビジネス面にも大きな空白を作った。
野球挑戦は失敗ではなく、異常な寄り道だった
ジョーダンは1994年、シカゴ・ホワイトソックス傘下のAA級バーミングハム・バロンズでプレーした。打率は高くなかったが、長く野球から離れていた選手がプロの環境に入ったこと自体が異例だった。
バスケの神様がマイナーリーグの外野手になる。この違和感こそが、ジョーダンという存在の大きさを逆に際立たせた。NBAは彼がいない間にオラジュワンのロケッツが頂点に立ち、リーグの主役が一時的に入れ替わった。
復帰後の3連覇で物語は完成した
1995年に復帰したジョーダンは、その年こそマジックに敗れたが、翌シーズンからブルズは再び3連覇を達成した。野球転向はキャリアの空白ではなく、ジョーダン神話をさらに奇妙で強いものにした。
もしジョーダンが1993年に引退していなければ、ブルズは8連覇できたのか。これは今でも語られるNBA最大級の“もしも”だ。だからこそ、この野球転向は単なる珍事件ではなく、90年代NBAの歴史を分岐させた出来事だった。
ジョーダンの“回り道”
- 11991-93
ブルズで3連覇。
- 21993年10月
リーグ最高の選手のまま突然引退。
- 31994年
ホワイトソックス傘下のバロンズでプレー。
- 41995年3月
「I'm back.」でNBAに復帰。
- 51995-96〜
72勝10敗を皮切りに再び3連覇。
マイナーリーグでの1年
1994年、ジョーダンはバーミングハム・バロンズで127試合に出場し、打率.202、3本塁打、51打点、30盗塁という成績を残した。メジャーを狙える数字ではなかったが、高校以来まともに野球から離れていた31歳が、いきなりAA級で1シーズンを戦い抜いたこと自体が異例だった。
シーズン後にはアリゾナ・フォールリーグにも参加し、打率を上げている。本人は本気で野球に取り組んでいた。ただ1994年8月から始まったMLBの選手会ストライキが長引き、代替選手としての起用に加わることを拒んだジョーダンは、野球への道を事実上閉ざされることになる。
「I'm back.」と45番
1995年3月、ジョーダンは「I'm back.」というわずか2語の声明でNBA復帰を発表した。復帰直後は、引退時に永久欠番となった23番ではなく45番を背負い、復帰5試合目のニックス戦ではマディソン・スクエア・ガーデンで55得点を挙げて健在ぶりを見せつけた。
翌1995-96シーズン、ブルズはレギュラーシーズン72勝10敗という当時の最多勝記録を打ち立てて優勝する。ピッペン、ロッドマンと組んだ後期ブルズの3連覇は、野球転向という回り道があったからこそ、より劇的な物語として記憶されている。
