この記事のポイント
- デル、ステフ、セスのカリー家はNBA屈指のシュート一家
- マイカルとクレイは親子でNBA王者
- アルビダスとドマンタスは欧州ビッグマンの系譜をNBAへ接続
- ジョーとコービーは父の海外経験も含めて独特のキャリアを持つ
数字で見る親子NBA選手
紹介する親子(カリー、トンプソン、サボニス、ブライアント)
マイカル・トンプソンの1978年ドラフト順位
レブロンとブロニー、史上初の親子チームメート
カリー親子 受け継がれたシュート感覚
デル・カリーはホーネッツなどで活躍した名シューターで、シックスマンとしても高く評価された選手だった。その息子ステフィン・カリーは、父の得意分野だったシュートをNBAの常識を変えるレベルまで引き上げた。
面白いのは、ステフが単に“父の上位互換”ではないことだ。デルはキャッチ&シュートの名手、ステフはドリブル、オフボール、超長距離まで含めて守備を壊す存在。親子で同じ武器を持ちながら、役割のスケールがまったく違う。
クレイ親子 親子でリングを持つ珍しい系譜
マイカル・トンプソンは1978年ドラフト全体1位で、レイカーズ時代に優勝を経験したビッグマンだ。その息子クレイ・トンプソンはウォリアーズ王朝の中心として、史上最高級の3&Dウイングになった。
親子でポジションもプレースタイルもかなり違うが、勝てるチームの中で役割を遂行するという点は共通している。クレイは派手なボールハンドラーではないが、爆発的なシュート力と守備で王朝の形を支えた。
サボニス親子 欧州バスケの知性をNBAへ
アルビダス・サボニスは、NBAに来る前から欧州で伝説的な存在だった。サイズ、パス、シュートタッチ、ゲーム理解を兼ね備えたビッグマンで、全盛期にNBAで見たかった選手として今も語られる。
息子ドマンタス・サボニスは、父とは違う時代で、ハンドオフ、スクリーン、リバウンド、パスを軸に攻撃を動かすビッグマンになった。現代NBAで“プレーメイクできるセンター”が重視される流れにも合っている。
ブライアント親子 父の旅がコービーの土台になった
ジョー・ブライアントはNBAでプレーした後、イタリアでも長くプレーした。コービーは幼少期をイタリアで過ごし、アメリカとは違うバスケ文化にも触れて育った。
コービーのフットワーク、駆け引き、言語感覚、海外への視野には、この環境が少なからず影響している。親子でNBA選手というだけでなく、父のキャリアの移動が、息子の独特な感性を作った例と言える。
4組の親子
親子でリングを手にした選手たち
親子でNBA優勝を経験した例は、トンプソン親子だけではない。ゲイリー・ペイトンは2006年にヒートで、息子のゲイリー・ペイトン2世は2022年にウォリアーズで優勝した。ビル・ウォルトンと息子のルーク・ウォルトンも、親子そろってチャンピオンリングを持っている。
父が優勝した球団と、息子が優勝した球団が違うのも面白い。同じ“優勝”でも、時代もチームもまったく違う場所でつかんだものだ。
史上初、親子でチームメートに
親子の物語で最も新しい一ページを刻んだのが、レブロン・ジェームズと長男のブロニー・ジェームズだ。2024年のドラフトでレイカーズがブロニーを指名し、同じ年の開幕戦で2人はそろってコートに立った。親子が同じ試合に同じチームで出場するのは、NBA史上初めてのことだった。
父の背中を追ってNBAにたどり着く選手たちは、それぞれに重圧も抱えている。比較されることを受け入れながら、自分の居場所を作っていく。その過程も含めて、親子NBA選手の物語は見どころが多い。
